セルフ・コントロール・ニンジャをやめる

正体のない影に怯えることは、人間ままあることかもしれません、よね。

今日は黒歴史をだらだら書きます。ただの自己開示練習です。
あまり役に立ちませんし、ご興味のない方にはお勧めしません。

20代の一時期、とても太ったことがあります。

もともと、それほど痩せているほうではなかったのですが、
大学時代にダイエットに成功して、そこそこの体重をキープしていました。
それが、ある時、痩せようとすればするほど、なぜか過食気味になり太っていきました。
きっかけは、当時、全方面からまんべんなく押し寄せていたストレスですが、
一番痩せたい時期に、太っていく自分のことがとても嫌でした。

ある日、ふと「動物は太らないのに、人間が太るのはなんでだろう?」と思いました。
動物は、ダイエットなんてしようとはしない、という結論にいたり、
その日を限りに、すべての痩せる努力を放棄しました。

食べたい時に、食べたいだけ食べ、体重計なんか乗らない。
努力を完全放棄した結果、体重はするすると減っていって
やがて、ほぼちょうど良い当たりでとまりました。

なにが言いたいかと言うと、意志によるセルフ・コントロールを手放したら、
より自然にコントロールされた、新しい体が生まれた(ような気がした)のです。
不思議な感じもしたけど、一方で「まあ、そうだろうな」みたいな納得感があって、
その体験は、わたしの中にとても強い印象を残したのです。

2つ目、と言っていいのか、セルフ・コントロールつながりです。
じつは、わたしは長いこと、「ふつうのひとになりすます」ことに、
かなりの体力と気力を注いできました。

ここでの「ふつうの人」というのは、リアルなふつうというよりは
平均に基づく、むしろ想像上の動物に近い「ふつうの人」です。
優れてもいない、劣っていてもいない、まんなかのゾーン。
たくさんの人の中で、いるかいないかわからない存在感。
黒と白の間の中間のグレー。

わたしが優れていて、劣っているように見せかけていたと言う意味では断じてありません。
まったく逆で、コンプレックスの塊のような、恥ずかしい自分を必死で隠そうとしていた、方です。

ただ、その目的は、優れているように見せようとしたのではなく、
隠れていることだったのです。
もしも目立ったら「恐ろしいことが起きる(ダメがバレる)」と考えていたのです。

なのに、努力してニンジャスキルが上がれば上がるほど、
「すごくふつうのつまんない人なんだな」と思われているような気がして、
「いや、わたしは、ほんとうはちょっと違うんだけど」と
心の中でふつふつと思っていたりしたのです。キモい。

ある時、あるひとに「目立っても、災いは起こらないんだから」と言われた時も、
「そのとおりかもしれない」と思いましたが、
だからと言って、すぐにニンジャをやめることはできませんでした。
やっぱり、恐ろしかったのです。

それでも、その言葉をきっかけに
「ダメ」がバレても「べつに大したことではない」ことを自分に理解させるよう努めてきて、
やっと、その思い込みがほぼ消えたので、このブログをだらんと始めたというわけです。

黒歴史を晒すのも、(リアルではまだちょっと怖いし、やり方がよくわからないので) 練習です。
なんども繰り返して書いている「自己開示」をすることは、
ニンジャ(自分)にとっては、とても危険なこと(だったの)です。

だらだら書いてますけど、私は結局根っこは自己否定が強いのかもしれないなあ。
いや、そんなことははじめからわかりきってるか(とほほ)。
でも理由とかはやめよう。大事なのは今と未来だからね。

痩せようとする努力を放棄して新しい体が生まれたように、
あえて、怖いけれど、ニンジャをやめて
新しい、自然な「じぶん」が生まれるのを楽しみに待っているところです。

それに、いまのところ災いは起こっていないみたい!(←検証中)