まじめにふざけるアートの歴史とぺインターF 『小沢剛 不完全 パラレルな美術史』展

なかなか凝ってる《醤油画資料館》 の受付はお留守。醤油で絵を描いているちょんまげ姿の男性は人形(当然)

小沢剛さんは、一見すごくふざけているけど、本当はすごく真面目な人なのだと勝手に思っている。真面目な人たち、大きな力、権威、組織のようなものを、大真面目に茶化し倒して揺さぶろうとする。真面目だから真面目な人が気になるのかもしれない。

例えば、過去の作品、《ベジタブル・ウェポン》(今回は展示なし)は、すごくわかりやすい例だ。野菜で作った銃で戦闘ごっこをした後に、それを料理して食べてしまう女の子たち。銃という、強くて力強く、禍々しい、男性の道具と、野菜、遊び、女の子などというやわらかくて弱いものの対比。銃を持って人を殺す戦闘行為と、料理して食べるという人間が生きるための根源的な営みの対比。茶化すことで、本体(この場合は戦闘行為、武器)の意味を揺さぶろうとする。


動画を見つけたので貼ってみます。サボテンが使われてる。メキシコ?南米のどこかだろうか。

そこにはやはり、小さなもの、悩みをもった弱い人間に対する共感を見て取ることができる。

例えば、《帰ってきたペインターF》で、戦争画を描くことを余儀なくされたぺインターF(藤田嗣治)の苦しみや悩みに寄せられた関心。

帰ってきたシリーズは、歴史に残る日本人のいわゆる“偉人”の海外での悩みや挫折、苦闘の時代を取り上げたシリーズだ。偉人の一生というのは、死んでから時間が経つにつれて、まるで灰汁を吸い取って、澄んだスープを取るように、ゆっくりと輝く偉業の物語に純化されていくものだ。しかし、苦労の時代に彼らに接した外国人の手によって物語のようなものが形作られ、現地の言葉と音楽で語られる時、世界地図が場所によってさまざまな中心を持つように、偉人のもうひとつの物語、悩み苦しむ人間の物語が生まれる。

従軍画家をしていた時代の藤田よりも、パリの時代の方がずっと有名だろうし、これからも有名であり続けるだろう。パリにいた時間が従軍していた時間よりも長いからではなくて、従軍画家時代はエコール・ド・パリの画家、フジタの一生の物語にとってある意味余計な灰汁だからだ。 でも、従軍画家として悩む姿を見ていたインドネシアの人々にとって、ペインターFは悩める日本人画家であり続け、もうひとつの物語となる。

とはいえことはそう単純でもなく、作品の設定自体にファンタジーやふざけた気分が入り混じり(そもそもインドネシアに住んでたっけ?)、素朴な土着色で脚色されてエスニックな体温を得たそれは、見るものを撹乱し、煙に巻く。作者が意図したのかどうかは定かではないが、「あまりまじめにならないように」と勧められている気分になる。

『Foujita』はなぜ映画としても伝記としても失敗なのか』で、映画『FOUJITA』について、藤田嗣治について、帰ってきたペインターFについて、浅田彰さんが、戦略的な画家フジタ(←常々同じことを思っていた)について、鮮やかな考察をされているのを見つけたので、リンクを貼っておきます。恥ずかしながら藤田については作品を見てきただけでまとまった伝記的な知識がなく、メキシコ時代の作品も知らなかった。作品のメッセージを伝えるには、メキシコ時代の方が良いというのは、エッセイを読むとたしかにその通りだと思う。けれど、戦争画の時代を、美術家としてあえて選びたかった小沢さんの気持ちもわかる気がする。映画は見ていないのですが、藤田嗣治に興味のある方には面白く読めると思います。一読をおすすめします。

話がずれてしまった。というか、Fに入り込んでしまった。

今回の企画展では、日本が、もともと日本にあった美術とは違う、西洋の「芸術」を受容した過程やその周辺を茶化した作品が多かったように思う。素描用の石膏像とその素描(有名人のものもちらほら?)、見世物小屋のねぶたと博多人形、油絵茶屋に、冒頭の醤油画、なすび画廊。


《油絵茶屋再現》気の抜けた音楽も良い

権威と、個人
西洋と、土着
芸術と、芸能
小沢さんはいつでも右側から左側にふざけながら挑んでいく。そういえば、むかしむかし、芸能者は河原乞食と呼ばれていたのだっけ。(年輩男性には未だに見かけるけど)いまはちょっと澄ましている芸術自体が、右側にいたということだ、昔の日本では。

戦争画を題材にした油絵のタブローは、なかでちょっと異質にも見えるが、彼の世代(わたしと同世代)は、戦争画の存在を知らずに育った世代だ。たぶん80年代になってからじゃないだろうか、初めて公開されるまで美術館に隠されていたそれら戦争画は、隠されていたという事実も含めて、日本の近代美術史の一部だ。

ペインターFと戦争画だ。

今となっては、東京国立近代美術館の常設展示でほぼいつでも見ることができる藤田の戦争画は、大画面なこともあって、他を圧する異様な迫力で迫ってくる。たとえば《アッツ島玉砕》に感じるのは、勝利の賛美ではなく、滅び、死、人間の苦しみや悲しみだ。画家自身がなにを表現しようとしたかはわからないが、その画面構成は西洋の歴史画に倣っており、“今作られつつある日本の歴史”、として戦争を描いていたかもしれない。または西洋美術の中で歴史画は、伝統的にもっとも上位(風俗画や風景画などと比べて)のものだという知識も、頭の片隅にあったのかもしれない。または、当時の日本の雰囲気は、すでに戦争=勝利ではなかったのかもしれない。または、ある意味戦争の真実をー想像だがー正直に描いているとも言える。それにしても、どうして「死」が、戦意高揚に結びついたのかさっぱりわからない。または戦争画の目的は、すでに戦意高揚でさえなかったのか。あの時代の「玉砕」賛美については、集団催眠みたいなものだと思っているが、起きていた人も催眠にかかった集団の圧力に屈せざるを得なかっただろう。

そして、戦争画は、常に権威によって都合よく利用されてきた「美術」「アート」の、まさに象徴でもある。
そもそも鎖国から一転、西洋芸術の受容の奨励もまた、「文明開化」という、権威が人々に押し付けた政策の一部であっただろう。

アートは、ふざけていたほうが良いんです。
人間は、自由でいたほうがいいんです。
どこかから、そんな声が聞こえたような気がした。

千葉市美術館で2月末までやってます。会場は撮影可、フラッシュは禁止。