雪の夜と霧の彫刻《グリーンランド|中谷芙二子+宇吉郎》展 /ダニール・トリフォノフTDC


雪じゃなくて霧の彫刻

昨日の東京は久しぶりの雪。駅からの帰り道、わざと人が通らない道を選んで帰った。雪国の人には珍しくもないでしょうが、なんだか嬉しいのだ。新雪が足の下できゅっと固まる感覚、雪が降り、つもっていく、ため息のような小さな音のさざめき。枝に雪が積もっている。ちょっとミトンをはめた手で取って、結晶の形をしげしげと眺めてにやにやする。早々と家の前の雪かきをしている人がいる。傘をさしたままさっきからじっと立っている女の子は、雪が積もった山茶花の写真を撮ろうとしている。静かな雪の夜、小学生がはしゃぎながら走って、わたしを追い越して行った。

で、道を間違えました(笑)。いつも通っている道なのに、雪で覆われてしまうとどの道だかわかりにくい。豪雪地帯の方々は道を間違えて、迷ってしまったりしないのだろうか。すごい。

そんななか、この間見た中谷芙二子さんの霧の彫刻のことを思い出していた。

彼女の霧の彫刻は、以前にも戸外の会場で見たことがあった。彫刻という言葉が連想させる「カタチ」はなく、病院のベッドの枠のような、いかにも無骨でそっけない銀色の枠からしゅわしゅわと音を立てて噴出しだした霧は、あたりをゆっくり白く覆って、またゆっくりと消えていった。その日はつめたい霧雨が思い出したようにときおり降っていて、霧が晴れた後、足元は小雨のためか、霧のためか、黒々と濡れてぬるりと光っていた。

白だ。雪の白から、霧の白を思い出したのだ。

展示「グリーンランド」の会場に一歩足を踏み入れると、いきなり視界を奪われた。真っ暗、ではなくて、真っ白である。ホワイトアウト、というほどでははないんだけど、ホワイトアウトという言葉が頭に浮かんだ。今回は室内展示だったので、戸外よりも霧が散るのが遅く、白い色につつまれて、なんだか宙にふわりと浮いているみたいだったのだ。良いタイミング、と思った。

考えてみれば、雪も霧も、雨だって、自然現象というのはどれも不思議というか、驚異的だなあと思う。大気中に浮かぶ小さな水滴が、さまざまに形を変え、雨になったり雪になったり霧になる。霧の中、わたしたちが見ているのは、水滴が光を散乱した光の幻である。

今回は+宇吉郎ということで、彼女自身の家族のコンテクストの中に置かれた霧の彫刻を見て、深く納得したことがある。中谷芙二子さんの父は、『雪は天からの手紙』の中谷宇吉郎博士なのだ。昔、エッセイを読んだことがある。科学の目で、雪という自然現象を子供でもわかるようにやさしく解き明かしてくれる語り口がとても楽しかった。そして姉は地質学者だという。ご家族ふたりとも、この地球の「自然」に挑んでいる。

そして芙二子さんの作品もまた、霧という「自然」にこだわっている。彼女は霧に似た「視覚的効果」を(たとえばドライアイスで簡単に)作り出そうとするのではなく、本物の水を使用して、自然の霧に近い「現象それ自体」を作り出そうとする。そのことに、家族のつながりを感じたのだ。

自然とは世界だ。科学者は自然を研究し、世界を知ろうとする。美術家もまた、彼らのやり方で自然と、世界と向き合っているんじゃないだろうか。

◼️雪は天からの手紙―中谷宇吉郎エッセイ集 (岩波少年文庫)

まあ、考えてみれば家族というのもまた不思議なものですよね。歳とともに、なんだか父に似てきたなあと感じたり、父の気持ちがすごくわかるようになってきた。親の人生というのは、一生かかって理解していくものなのかもしれない。

◼️今日の音楽
ポストとは関係ないけど、ダニール・トリフォノフのtiny desk コンサートを見つけた。いえい。

Chopin: "Fantaisie-Impromptu, Op. 66"
Schumann: "Chopin. Agitato" (from Carnaval)
Grieg: "Hommage à Chopin, Op. 73, No. 5"
Chopin: "Variations on 'Là ci darem la mano' (from Mozart's Don Giovanni) - Coda. Alla Polacca"
*(Selections found on the album Chopin Evocations.)

MUSICIAN Daniil Trifonov (piano)