「もやもや」の飼い方と放し方

“The last straw” 駱駝の背中を折るという「最後の藁」。藁とストローは、英語では同じ“straw”

こんなことを書いていいのかよくわからないけど、覚書として書いておきたいので書きます。

久しぶりに怒っている、ような気がする。

会社を辞めてから、とても気持ちが穏やかになった。大体のことはそよ風のように感じられ、たいてい笑っていられるようになった。

自分はすっかり丸くなったのかと思ったのだが、そうでもなかったらしい。久し振りだったので、しばらく何が起こっているのかわからなかった。なんだか、心が「もやもや」していて落ち着かない。よく考えたら、ああ、なんだか怒ってもいいような気がするけど、怒ってないから、「もやもや」してるんだ、と気がついた。じゃあ怒っちゃえ、と誰もいない家で、読み終わった新聞紙をばさっと投げてみたけど、「もやもや」は消えなかった。

頭にひっついて視界を遮り、集中力を邪魔をする怒りのエネルギー生物「もやもやくん」想像図。放っておくと繁殖します

わたしは自分の感情や、ニーズに気がつくのがとても下手だ。その場で自分の本当の気持ちに気がつかないから何も言えず、時間差で「もやもや」が後追いして来て、気がつくことになる。あれ、「もやもや」、なんで?みたいな(笑)。穏やかだと言われたことがあるけれど、それはぜんぜん違う。とろいだけなのだ。あとでどうでもいい時に強めに怒っている気がするし。

怒るべき相手に、ちゃんと怒ることができれば良いのだけれど、気がつかずに、にこにこしていた自分に対しても「もやもや」は増殖していく。たくさんの「もやもや」たちをどこかに閉じ込めて、見えないふりを決め込もうとしても、自然に減ったり、消えたりしないので、我慢していると、そのうち定員オーバーではみ出ししまう。怒りのエネルギーは、たぶん結局はどうにかせざるを得ないみたいのだ。そして、わたしの小さな箱のなかには、古くからいる「もやもや」たちも陣取っていて、シャバに出る隙を伺っているようなのだ。

シャバに出たいと鉄格子を揺する塀の中のもやもや。の想像図

久しぶりだったので困ってしまって、いまさら考えた。怒って解放できなかったこのもやもやを、ポジティブに使うことはできないだろうか。そうしたら、現在逃避中の怒りの原因氏に落ち着いて対処できるかもしれない。または、したくないかもしれないけど。

それで思い出した。

二十代の頃、わたしは理不尽なことや悲しいことがあると、なぜか、机にかじりついて英単語を覚えることにしていた。胸の痛みを感じながら英単語を覚えているうちに、だんだんと怒りや悲しみが薄らいで行き、なにより自分が自分のためになにか良いことをしている、と思えて、気持ちが落ち着いた。難しい問題ではなくて、単語を覚える、という単純作業だったのも良かったんだと思う。

その頃の私には、悲しいことも理不尽なことも売るほどたくさんあったので、そのおかげだとは言わないけれど、英検一級を取ることもできた。怒っても仕方ないし、泣いても、自分のために得になることがないことだけはわかっていた。振り返ってみると「こつこつ努力する自分」を通して、自分に対するかすかな信頼のようなものもついでに生まれたような気がする。

すっかり怠け者になって、忘れてしまっていたそんなことを思い出した。

怒りも、悲しみも、ネガ感情だって、というかむしろネガの方が、人を動かす強力なエネルギーになると思う。戦争だって起こしちゃうくらい。

うまくいくかどうかわからないけど、このもやもやたちを、リサイクルしてみたいと思います。そう決めただけで、もやもやたちも、「もうすぐシャバに出れる」みたいな感じでおとなしく静まっていて、小さなことに怒らないですんでいるから、多少効き目はあるのかもしれません。

さしあたっては、ひさしぶりにTOEICの受験をすることにしたのでそれに使ってみようかな。このビミョーな英語テストについては言いたいことも多いけど、長くなってしまいそうなので、また今度ということで。

◼️キレる私をやめたい ?夫をグーで殴る妻をやめるまで? (バンブーエッセイセレクション)

毒親に育てられたため、キレることをやめられなかった著者が、いろいろな人の手を借りながら、キレることをやめるまで。Cakesで連載していた育児漫画を読んでいて、毒親問題に興味があったので読んでみました。著者のキレッキレ描写は、よくぞここまでと、ある意味感心してしまいました。過去に受けたトラウマとどうやって付き合っていくのか、自分の子育てに不安を抱いている方にもヒントがあるかも。