へんな夢と最近見たものメモ

なんだかへんな夢を見ました。

著名なバイオリン奏者に共演者として呼んでもらえることになったのだけれど、コンサートの当日、ぜんぜん練習していないのです。それよりも何を着ていくかですごく悩んでいて、家族や友人に、「ねえ、こっちの白いブラウスと、紺のブラウス、どっちがいいと思う?」と焦って聞き回っているという夢。しかも、みんな「がんばってね〜」とか、へらへら笑ってて、誰もアドバイスしてくれないし。いよいよ時間がきてしまうし。

「そっちじゃないだろ、練習しろ」と目が覚めてから自分に突っ込みました。

「重要なお知らせ」という郵便物が届くと、開けるのが怖いのです。銀行とかだったりするので、べつにたいしたことじゃないとわかっていてもびびる。

グレース・タン「Materials & Methods」

どこにでもある、プラスチック製品や部品、布や糸。日常的な素材を組み合わせて、まったく違う、なにか美しく、どこか生命に似た有機的な形態を作り上げる。数学的な配列で作られた作品も、やはりどこか有機的で、官能的だ。そういえば、自然の命の形と、数学には秘密の関係がある。(たとえば黄金比率とオウムガイのように)というか、命の形が数学的なのだ。そして、数学者は、数学に「美」があると言う。残念ながら、わたしにはさっぱりわからないのだけれど、わたしにわからない美を経験している数学者をうらやましい、と思う気持ちを長いこと持っている。数学という、自分からもっとも遠いものへの憧れ。

Moving Plants 渡邊 耕一展

どこにでもある雑草「イタドリ」すかんぽとも呼ばれるこの植物は、19世紀前半、シーボルトによって日本からオランダに園芸用の品種として(種なのか、株なのか?たぶんすこしだけ)送られていった。それが今は欧米で大繁殖している。そのイタドリの移動をオランダ、英国、米国に追った作品。大きさを変えながら世界中に着々と広がっていくイタドリの生命力。そういうことは世界中によくある。たとえば、食用ガエル(ウシガエル)の餌用に日本に導入されたアメリカザリガニ。食用ガエルだって、そもそも米国から持ち込まれたものだ。考えてみれば人間も移動し続けてきた。今いるこの場所に、どれだけの人がいたか、通りかかったか、と思う時がある。どれだけの時が流れたか。どれだけの命が行き交ったか。

私も、今も移動し続け変わり続ける命の物語を構成する、動く粒子の一粒だ。その粒子を、種子と呼んでも良いのかもしれない。種子である人間たち。

ほかにもいろいろ見たのですが、きょうはこのへんで。