祈りの発見 – 不思議のメダイ、または奇跡のメダイユの思い出

今朝の空。ぼた雪でした

昨夜降り始めた雪もそろそろやんで、どんよりと曇った寒い日です。

2日続けてグラスを割ってしまいました。安いものとは言え、新年におろしたばかりなのに。しかも、朝食のお茶を入れてポットとグラスをテーブルまで持っていく全く同じタイミング。

普段験担ぎはしないんだけど、こういう時ちょっと考えてしまいます。きっと、グラスが悪いことを持っていってくれたんだよ。なんて、誰もいないので自分で自分をなぐさめて、うんうんとひとりでうなづいたりする。それで、お守り、というか不思議のメダイのことを思い出しました。お守りも験担ぎの一種よね。

不思議のメダイの思い出

学生時代のこと、わたしには家族のことで悩んでいた時期があった。先生や友人が心配して、自分のなかにとじこもりがちになるわたしをあれこれと誘い出したりしてくれた。そのことには今でも感謝している。

ある時、小さなペンダントトップみたいなものをある人から手渡された。

「これは、持っているひとを守ってくれて、不思議なことがたくさんおこるから不思議のメダイと呼ばれている」と、そんな説明を受けたと思う。

わたしは、渡された小指の先ほどの小さなメダイを見て、これは日本でいう一種のお守りみたいなものだな、と思い、ありがとうとお礼を言って素直に受け取った。

そのとき、その人が「祈っているから」と言った。なんというか、衝撃だった。

宗教嫌いの家に育って

祈るってなんだろう?

家に帰っても考えていた。

わたしの父は、おそらく戦争のせいだと思うのだけれど、伝統とか宗教をとても嫌うひとだった。子供の頃は、クリスマスも「日本人には関係のない宗教行事だ」と、祝ったことがなかった。だから、近しい人からそんな言葉を聞くのは、生まれて初めてだったのだ。

家にひとりでいても、誰かがわたしに心を向けて、わたしのために祈ってくれているのかもしれない、ということを考えると、冷え切ってかちこちに固まっていた心と体が、じわっとあたたかく、やわらかくなっていくような不思議な感覚があった。解凍?みたいな。

もらったメダイはいつのまにかどこかに行ってしまったし、特に不思議なことも起こらなかったけれど、わたしはときおり、病の人に心を込めて「祈っています」と言ったり書いたりすることにしている。そして、良くなりますように、という気持ちを送る。

あの時凍えていたわたしが感じたような温かさを、その人も感じてくれたらいいな、と思うのだ。

不思議のメダイ、または奇跡のメダイユ

この不思議のメダイ、数年前に奇跡のメダイユと言われて、女性誌なんかで取り上げられて人気になったものと同じです。わたしは奇跡のメダル教会には行ったことがないけれど、興味のある方のためにリンクを貼っておきます。ボン・マルシェの近くにあるので、足を運ぶ日本人も多いみたいですね。安いので、欧州旅行のおみやげに買ってきて配るのにも良いかも。

奇跡のメダル教会(日本語ページあり)

日本でもカトリック教会の売店などで数十円くらいで買えます。東京なら四谷のイグナチオ教会(上智大学正門入ってすぐ)の売店は、ほぼ毎日夕方まで開いているはず。とても大きな教会以外は、いつも開いているわけではないので要確認ですが、ネットやオークションで何千円もするのを買わないように。(または、転売しないように)

ひさしぶりにわたしも着けてみようかな。

あ、そうだ。こだわる方もいらっしゃると思うので、一応書き添えておきます。神父様に「メダイを祝福(聖別)してください」というと聖別してくれます。わたしがいただいたのは聖別されたメダイでした。ご参考まで。

実は、はてなスターを押す時に、ときどき「祈っています」をやっています。みなさん、早く回復されますように。

今週のお題「ゲン担ぎ」