挫折人生が生んだ近代写真の父 ≪アジェのインスピレーション 引き継がれる精神展≫感想メモ

≪Eclipse, 1911 ≫Eugène Atget

Eclipse, 1911 ≫Eugène Atget, Public domain LACMA

ウジェーヌ・アジェは、19世紀末の古き良きパリを記録した孤高の写真家および、近代写真の父ということになっていて、たぶんファンも多い。ちょっと恐れ多いのだけれど、企画展を見て感じたことを書いてみたくなった。

静かなアジェ

古い写真を見る時、私はおそらくとても個人的な見方をしている。美術作品だと、自動的に歴史のコンテクストのなかにあてはめて理解したり感動したりするのだけれど、写真史に関する知識は、だいぶぼやけた一般的なものにとどまっているいる。19世紀の写真と20世紀と、今の写真を同じ土俵に乱暴にのせてしまうのはどうかと思う。でも、ついついそうしている自分がいる。

20世紀以降の写真を見慣れた目で見ると、アジェはなんだか不思議な写真家に見える。なんだか力んだところがない。ただ目の前のものをさらりと写しているみたいに見える。かといってまったくの記録写真とも違う。「俺はこれだ!」みたいな主張があまり見えなくて、静かなのだ。または、時代のせいなのかもしれない。または、わたしが鈍いのかもしれない。

≪St. Cloud≫ Eugène Atget

≪St. Cloud≫ Eugène Atget(France, 1857-1927), Public domain LACMA

アジェの精神を引き継ぐ

会場の奥に進むと、スティーグリッツ、アボットエヴァンズなどの作品が続く。日本人作家は荒木経惟森山大道深瀬昌久、清野賀子ら。

スティーグリッツも近代写真の父と呼ばれることがある。近代写真に父がふたり(笑)。スティーグリッツらしい構図の面白い風景がいくつか。オキーフの夫として、彼女の美しい写真もたくさん残している。

≪Bud Fields and his family at home≫ Evans, Walker

≪Bud Fields and his family at home≫ Evans, Walker, 1903-1975

エヴァンスが撮ったアメリカの農村の人々や家族の写真が好きだ。開拓者のアメリカ。これこそアメリカだ、と思う。

荒木経惟さんは、ここ数年精力的に活動されていて去年も大きな回顧展が続いた。上手い写真を撮ることもできるけれども、それは商品としての写真の場合のほうが多いような気がする。作品としての写真は、逆になにか荒削りで、ある意味量が質を凌駕している。そうじゃないものもあるけど。量で、なにかをわざとすりへらそうとしているようにも見える。

でも、なにか、あまり整いすぎていないもの、抜けたものが見たいなあと思う時があって、そういう時に荒木さんの写真が良いなと思うことがある。そういうところは、すこしアジェに似ているのかもしれない。

会場の最後の方で、故・深瀬昌久さんの『鴉』たちが見られたのは嬉しかった。幻のように、浮かび出る美しい鴉たち。漆黒の賢者のようでもあり、獣のようでもある。

Ravens
Ravens 深瀬昌久

そのとき突然、アジェの写真の美が私の前に姿を表したような気がした。あれれ、不思議。そういう仕掛けだった、はずはないか。

挫折続きの人生と、アジェを近代写真の父にしたもの

眉根をひそめて真剣に悩み、戦うだけが人間じゃない。今そこにある美を感じ、楽しむのもまた人間なんだ。それが芸術だよ。とアジェおじさんに言われたような気がした*

ああ、そうだった。汗を滴らせて弾く情熱的なベートーヴェンも素晴らしいけれど、口笛を吹き、人々の談笑に酔いながら弾くモーツアルトも楽しい。朝早起きして、咲き始めた庭の薔薇に感動したドビュッシーも素敵なのだった。わたしは、ついついくそまじめになりやすいのだ、だめだなあ。

ウジェーヌ・アジェという人は、なかなかに怒涛の人生を送っている。大工の息子として生まれ、幼くして両親を亡くしパリの叔父に引き取られて神学校に進学したものの中退。商船の給仕として世界を旅したが、これも辞めてパリに逆戻り。今度は俳優を目指したが失敗し、41歳にして画家を目指すがこれも挫折。ただ、そのころから写真を撮り始め、画家の資料用の写真を販売しはじめたのがなんとか軌道に乗った** 。この間に撮影した写真は8000枚以上だという。藤田嗣治もアジェから写真を購入していたらしい。そういえば、会場の入り口に小さな絵が展示してあった。

彼がマン・レイに見出され、注目を浴び始めたのは亡くなるたった2年前だという。マン・レイが嗅ぎつけた「シュールレアリストに共通するもの」とは、アジェの写真に奥に隠された「絵画的ななにか」だったのではないか。

そしてまさにその「絵画的ななにか」が、アジェを客観的な記録写真の世界から、主観的な表現としての写真を生んだ近代写真の父にしたようにわたしには見える。挫折した画家だからこそ、近代写真の父になったのかもしれない。

美術としての写真、記憶の拡張装置としての写真

アジェの見たパリが、フィルムから解凍されて立ち上ってくる。どこか潤いのある黒の色合い、品の良いビロードのような質感。クラシックで上質な。写真は新しい記憶の拡張装置でもあるのだ。私が触れたことのない、覚えているはずのない花の都の美しい幻を見たような気がした。

ウジェーヌ・アジェ写真集

ウジェーヌ・アジェ写真集

Ravens

Ravens

日本の写真家〈34〉深瀬昌久

日本の写真家〈34〉深瀬昌久

* Art de Vivre、というフランス言葉がありますよね。
** 「 ウジェーヌ・アジェ 」(2018年2月6日 (火) 12:00)『ウィキペディア日本語版』より
今だったら、そこそこ良い高校を中退し、飲食店で働き始めるが辞め、俳優を目指したが芽が出なくて、アラフォーでアーティストを目指す感じでしょうか。思わずがんばれ!と応援したくなる。

※写真は企画展の作品とは異なるものもあります。

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