桜と日本と怪しい話と震美術論を読んで思ったことをだらだらと書く

子供時代のわたしは、ほしいものがあってもなぜか恥ずかしくて、どうしても「欲しい」と言えず、めずらしくほしいものに手を伸ばしても「本当にほしいのか?」と自問してやっぱり手を引っ込めてしまうような かなり面倒くさい子供だった。というか、周りから見れば聞き分けが良くておとなしい子だけど、本人はいちいち悩んでいてかなり面倒くさかったのだ。

今考えても、子供時代のわたしにインチキな関西弁で「なんでやねん?」と突っ込みたくなってしまう。子供バージョンのわたしの、自分のほしいものに対する屈折具合はなかなかのものだったと思う。

そのせいなのか、私はわりと昔から「ものを持たない」人生にファンタジーを感じてきた。

怪しい話になってしまうので、お嫌いな方はここでページを閉じていただいたほうが良いかもしれない。実は、この屈折は、自分の過去生の記憶らしきものと関係があるのではないかと思うところがある。わたしには過去に街ごと焼けるような大火災にあって(たぶん)死んだ記憶がある。多分というのは、死んだ後の記憶っぽいからだ。

その時の「ああ、なにもかもが焼け野原になってしまった」という、悲しみでもなく嘆きでもない、ひどく乾いた灰色の感慨のようなものが、今の私の根幹に深く根を張っているような気がする。

それでも残った執着を、無理やり言葉にするとすれば、「持っていけるだけの特別なもの」への執着だ。それでも、生活に必要ではないなにか美しいものを手に入れるたび、うっすらと不安を感じる。「持ち切れるだろうか」みたいな 。今のところ引っ越す予定もないのに。とほほ。

「もの」をたくさん持つことは、積み上げた「もの」を「錨」にして停泊し続ける生のような気がする。「モノ」が多ければ、すべてを運んで移動することはできない、という単純な理由が、案外その場所にずっととどまる理由になるように思うのだ。

私がものを少なく持つことを願っていた理由は、紛れもなく「ここから移動する」「ここから消える」ためで、それは私の頭のどこかしらに常にこびりついていて、抱えきれないほどの荷物は持つべきではない、と常に私にささやきかけている。

そして、同時に「喪失に対するあこがれ」も、めんどくさいことに、どこかにあり続けている。いっそのことすべて無くしてしまったら、という薄ぼんやりとした憧れ。現実では、小銭を落とすのも嫌なのに(笑)。

捨てられた死者のための花

ほとんど誰にも話したことのないそんな話を突然なぜ書き始めたかというと、椹木野衣さんの「震美術論」を読んだから。日本は常に災害に見舞われる「悪い場所」であるというのは椹木さんの持論でもある。歴史を積み上げる欧州とはまったく違う、本当にはかない土地だよね。

このはかない土地で大きな災害が起こるたびに、日本人は築いたものも愛する人や故郷も失い、沢山の涙を流して死者を葬いながらも、前を向いて歩き出し、生き続けてきたのだ。この7年間だって。

そんな日本人の私たちが桜の花を愛するのは、まあやっぱり当然だなあと思ってしまう。いささか通俗的だけど、命の儚さと美しさを同時にこれほど感じさせてくれる花もない。

そういえば、都内で見られる見事なソメイヨシノの多くは、戦争ですべてが焼け野原になった後植えられたものだ。わたしのなかの焼け野原の記憶と、見たことのない東京の想像上の焦土のイメージはいつでも二重写しに重なってしまう。

あちこちで見た桜の写真尽くしで、 今週のお題「お花見」。

千鳥ヶ淵(最後の写真)は20年前はもっと見事でした。そろそろ今年の桜も終わりですね。桜吹雪を楽しみつつも、ちくちくと胸を痛めたりしています。

今日もステキな1日を!

学生時代は評論もたくさん読んでいたけれど、卒業してからはあまり読まなくなった。でもたまに読みたくなるんですよね。「なぜこんな場所に美術館を?」という疑問文は、「なぜ、わたしははこんな場所に生き続けているのか?」と目に飛び込んできてしまう。そういう読み方しかできないのか?と言われてしまいそうだけど。大災害の持つ力、欧州との比較、美術館の問題、過去の日本の災害と先の震災、現在の日本の美術についてなど。