エリーザベト・レオンスカヤのシューベルトとロシアのVibe

前回のブログから、まただいぶ時間が経ってしまいました。忘れる前に、この間行ったエリーザベト・レオンスカヤのシューベルトチクルスのことを書いておきます。というか、そこから派生したいろんな考え事が主だけど。

エリーザベト・レオンスカヤは、1945年ジョージアグルジア)生まれの72歳(4月現在)。モスクワ音楽院で教育を受け、78年にソ連からウィーンへ亡命している。ジョージア生まれのピアニストというと、若い世代ではお色気たっぷりのカティア・ブニアティシヴィリがいる。彼女は亡命しなければならなかった厳しい時代のことを知らないかもしれない?

それはさておき、深く、まっすぐ突き刺さってくるような美しい音の響き、ロシアンメソッドの長いレガート。どこかリヒテルを彷彿とさせるような、大きく素晴らしい演奏だった。レオンスカヤは、みんなが兄貴と呼ぶのもうなづける、すごくカッコ良い女性で、出てきて椅子に座って、あまりに素早く弾きだすところも、ロシアのマエストロに共通(笑)。モスクワ音楽院では、ピアノの前に座ったら、ぼけっと瞑想してないでとっとと弾きなさいよ、とか教えるのだろうか?(←冗談)

クラシック音楽が、たとえば美術など「モノ」が残る芸術表現とは大きく違って面白い点のひとつは、昔のものをひっぱり出して演じる「再現」であるというところだと思う。音は生まれたと思ったら、すぐにあっというまに消えていく。昔の音楽は、楽譜が残っていたとしても、どんな風に演奏されたのか実は誰も知らない。研究者がせっせといろんな資料をあたり、たぶんこんなピッチで、こんなテンポで、こんな風な装飾音をつけて演奏したんだろうと言う。そのせいで同じ作曲家の作品の演奏も、時代によって変わっていく。

それでも、楽器も昔と同じではないから同じ音は出ないし、演奏技法も今とは違う。だから演奏家は、ざっくり言って、考古学のような「再現」と、作曲家の精神の表現の「再現」のバランスをとりながら、それぞれがいろいろと感じたり、考えたりしながら演奏を組み立てていくことになる、んじゃないかと思う。わたしは別に演奏家じゃないので、推測だけど。

これがたとえば美術であれば、経年劣化や修復保存の問題はあるものの「もの」として残っているから、歴史的な背景を理解しているかいないか、といった点が鑑賞の質に及ぼす影響は大きいにしても、単純に残された「もの」としての作品をそのまま鑑賞すればそれでおおまかには良いのである。

だから、素晴らしい演奏家によって素晴らしい演奏がなされた時、それがどのくらいの割合まで作曲家のもので、どのくらいが演奏家のものなのだろうか、と思うことがある。あといくつか付け加えるとすれば、演劇などと共通する、会場の音響とか、鑑賞者の集中力が加わって作られる「場」みたいな要素もあるわけで、クラシック音楽の楽しみは、本当に一回性のものだなあと思う。そういう偶然性みたいな要素を嫌って、ライブ演奏をやめたグレン・グールドみたいな人もいるわけだけれど。

話が逸れたけれど、レオンスカヤの演奏を聞いていて、それはたしかに本当に自然でふかぶかとしたシューベルトだったんだけれど、一方である音のようなものをずっと感じていたのだ。

それは、ロシアにいる時に感じる、地下に滔々と流れる見えない不思議な深い大河の流れのようなバイブ(vibe)だ。

彼女はジョージアの人だとわかっているのだけれど、私はジョージアには行ったことがないので、もしかしたらバイブが似通っているのかもしれない。または、ロシアの教育を受けたからとか、当時ジョージアソ連圏だったからかもしれない。とにかく感じたことなので、論理的な説明ができない。ジョージアに行ったらころっと言うことが変わるかもしれない。

以前、国によってバイブ(vibe)が違うよね、みたいなことをブログに書いたことがあると思う。このVibe、英語ネイティブは「NYとLAのvibeってぜんぜん違うんだよね」みたいに使う。もともとはヒッピー用語だったみたいだ。日光の差なのか、空気なのか、言語なのか、人々の雰囲気なのかわからないけれど、とにかく国によって、土地によって、バイブは違う。私にとって旅行に行くことの、たぶん一番大きな楽しみのひとつはいろんな国のバイブを味わうこと、みたいなところがあると思う。

その国のバイブを味わうと、音楽や文学、美術の味わいがぜんぜん変わってくる。プラハに行く前のカフカと行ったあとのカフカは違う。ロシアに行く前と行った後のドストエフスキーも違う。作品が俄然立体的になって、陰影を深める。ただ、作品に出てくる地名の場所に行ったことがある、ということじゃないと思う。もちろん人それぞれのバイブみたいなものもあるのだけれど、やはり祖国のバイブは遠くから響いてくるのだ。

どこかに出かける時に、その国の作家の本を持って行くという人が多いけど、じつは、バイブと関係があるのかもしれないと疑っている。実を言うと、私は行く国の作家の本は持っていかないのだけれど。本は帰ってきてからのお楽しみなのだ。帰国してから、行ってきた国の作家の本を読み直すと、まるで、モノクロの映画がカラーになったみたいに、鮮やかに体のなかに入ってくる感じがある。映画『オズの魔法使い』でドロシーが、魔法の国に一歩踏み出すと、画面がカラーになるみたいな感じ。

ロシアの巨匠(旧ソ連も含めて)たちのうちの数人に感じるのは、やはりロシアのあの遠く深い、地下からどうどうと響いてくるようなバイブだ。それが私の体の中に記憶として残っていて、演奏と響きあう。

以前、ロシア人の若いピアニスト(忘れてしまった)が、ロシアは西洋芸術が入ってきたのが遅れて、ロマン派の時代だったので(サンクトにいくとよくわかります)、ロマン派の影響がとても強くて、いまだにそれが残っているところがある、といっていたのを思い出す。豊かで深く、強いロマン派の感情。それはロシアのバイブの深さとしっくり合って、だからこそ残ったのかもしれないなあ、なんて思ったりもする。

シューベルトが、彼女の演奏を聴いたらどんなふうに感じるのだろう?また来年もきて欲しいなあ。

■曲目
シューベルト ピアノ・ソナタ 第11番 へ短調 D625
さすらい人幻想曲 ハ長調 D760
ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960

◾︎ Elisabeth Leonskaja - Schubert Piano Works

なんとシューベルトがたっぷり 6CD入って2000円の激安CD。ABQと共演した「ます」も収録されています‼︎

ところで、私が行きたいところは本当にたくさんあるのだけれど、ここ数年行きたいと騒いでいる国のひとつはインド。インドに行って、サルマン・ルシュディとジュンパ・ラヒリを読み直したい。でも、みんなに止められるので難しそうですけれど。あ、あとコロンビアに行って、ガルシア・マルケスを読み直したいけど、こちらもやはり反対されそう…。危ないところばっかりですよね、どうも。

ということで、今日もすてきなバイブの1日を!

注:このシーンが、テクニカラーが初めて映画に使われたシーンだ、ということがよく言われているけれど、それはうそです。1930年前後にテクニカラーを使われた作品はすでに存在しました。

画像参照:ぶらあぼ 春祭ページ この画像のレオンスカヤが格好良くて好き。 C)Marco Borggreve