ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ 読書メモ

孤独な小説家と、孤独なペンギン

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス) 前から読みたいと思っていたウクライナの作家アンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」を読んだ。すごく面白かったので、ひさびさに読書メモ。

読みだすと同時に、ロシア文学に似たどこか陰鬱な空気感と匂いを感じたのは、原作がロシア語で書かれていたせいかもしれない。

時代と舞台はソ連崩壊後のウクライナ。主人公は首都キエフに住む売れない孤独な短編小説家で、およそ親しい友人も家族もいない。動物園からもらいうけた陰鬱な皇帝ペンギンとともにたったひとりで暮らしている。

ソ連という大きな国から“解放”されたウクライナがこの時代いかに混乱していたかが、動物園を閉鎖して、ペンギンを市民に引き取ってもらわなければならなかったという設定からも伝わってくる。ある意味ソ連に捨てられた孤児であるウクライナと、動物園から追放された孤独なペンギン(ペンギンは群れで暮らす)の姿が二重写しとして描かれている。そしてまた主人公もまたペンギンのように孤独だ。

そんな中で主人公に、生まれて初めて「親しい信頼できる友人」ができ、経済的にも次第にうるおい、さらに女の子と、それから若い女性まで一緒に暮らすようになっていく。外から見たらまるで父と母と娘(とペット)の“幸せ”な家族に見える。でも、そうした幸せのようなものが彼の人生に訪れるのと同時に、死の気配もまた彼の人生を深く侵していく。

この辺の書き方がすごくうまくて、濃くなっていく死の気配に脅かされつつ、その「幸せっぽい状況」は、ほんとうに幸せなのか?なんなのか?みたいなことを、主人公はずっと考え続けているのだ。彼は、この女性にぬくもりを感じているけれど、結局は愛情を感じていないし、女の子にも愛情を感じてはいないことを自覚している。彼が愛着を感じるのは、結局は憂鬱なひとりぼっちのペンギンだけなのだ。

だからこそ、ラストシーンの彼の決断と行動が、なんとも言えずうまくてうなってしまう。彼は最後に自分が何者かを宣言し、そして本来の自分が属すべき場所に、自分の本物の人生に象徴的に戻っていくのだ。彼が本当はどのような者なのかは、ぜひ本書を読んで確かめてみてほしい。

クルコフと村上春樹

ところでクルコフは村上春樹作品が好きだそうで、訳者の沼野恭子さんがあとがきで村上春樹作品と雰囲気が似ていると指摘され、読者はどう感じられるだろうか?と問いかけていらっしゃったので、面白いなあとしばらく考えていました。

主人公が何かから逃げて備蓄付きの家に閉じこもるとか、女の子が出てくるとか、ペンギンみたいな可愛い生き物が出てくるといった舞台装置はたしかになんとなく似ているところがあるんだけれど、主人公のあり方が全然違うというか、逆なんですよね。

村上春樹の作品はフロイト的というかユング的というか、集合的無意識の世界、夢の世界に深く降りていき、目覚めた時に現実の人と世界も変化しているというようなところがあると思うのです。主人公が受動的と言われるのもよくわかる。夢の中の人間って受動的ですから。

それに比べてこの作品はやはりとても政治的だし、非常に意識的にしっかりと構成されたコンセプトがあり、主人公は受動的な状況に追い込まれるけれども、最終的には能動的に自分の人生を選び取っていくように、私には見えるのです。

感覚的に言っちゃうと、ハルキは東洋的無意識的で、クルコフはやっぱり西洋的(非東洋的)意識的みたいなことになるのかもしれません。わかりませんけど。

日本語世界と無意識的世界

そのへんって日本の現代美術と海外の現代美術に感じる差にも、どこかとても似ているんですよね。コンセプトがはっきり意識され、語られ、主張されている海外作家の作品と、コンセプトがなかったり、あっても作家自身がコンセプトを探し中みたいに見えたり、どこか生煮え感覚な日本の作家たち。

西洋でもフロイトが登場した時期に無意識的世界を探る作品が流行ったけれど、結局は今は廃れてしまった気がするのです。それは西洋文化と無意識の相性の悪さということがあるような気がします。

そして日本の作家がコンセプトをしっかりと作るのが苦手なのは、逆に日本文化がもともとなにもしなくても無意識的なので、意識的に構築していく「コンセプト」みたいなアプローチが逆に苦手なんじゃないかという気がするのです。ある意味、それが村上春樹とも共通した日本人の(Zen的な)精神世界なのかもしれません。

最近はコンセプトがしっかりした日本人作家もかなりでてきたけど、海外で活動されているか、活動したことがある人が多いと思う。突き詰めていくと、結局日本語のつくりみたいなものとも関係があるんじゃないかという気がしてならないんですよね。このへんを考え始めるときりがないですが。日本語世界をいったん離れないとコンセプトというものは難しいのかもしれないのかもしれない、なんて思ったりします。まあ、東西どっちが良いとか優れてるってわけではないですけど。

とにかくまさにページターナーでした。あっという間に読んでしまった。

ところで、ここ1ヶ月に見たものや聞いたもの、ぜんぶアップデートするのは、諦めることにしました。結局はブログは日誌じゃあないし、今書いておきたいことを書けばいいんですよね。と、考えを変えたのも、ペンギンがすごく面白くてなにか言いたくなったからだと思います。

もともとロシア文学(および寒冷地文学、笑)好きなのですが、最近は自分の中で、東欧がちょいブームです。ポーランドの写真もすごく良い作家が多いし、最近見たちょっと前のポーランド映画『裏面』も最高に面白かった。って、ポーランドばっかりでしたね、笑(地理的にはポーランドはドイツの隣だけど、政治的には旧共産圏なので一応東欧。この辺っていつもどっちか迷います)

ところで、関係ないけどボルシチってもともとウクライナ料理らしいですね。

では、今日も梅雨空に負けず、良い1日を。