長い時間が必要なこともあるー母のこと

お久しぶりです。立冬も過ぎましたね。 今年の秋はへんな陽気で、大きな台風が多かったですね。

今朝お皿を洗いながらふと母のことについて思ったことがあって、なんだか誰かに話したくなりました。

私の母は、若い時まるで大型台風のような人でした。

台風が、自分の進路をひたすら周りをなぎ倒して進むように、彼女が動き出すと周りの家族はただなぎ倒されるか、窓を閉ざして被害が少ないことを祈るのみ。父は仕事で不在がちで、弟は要領がよいため、大型台風はいつでもぼんやりして逃げ遅れる、どんくさい長女の私に直撃するのでした…。

彼女についてはある種大きな「謎」でしたが、数年前に毒親という便利な言葉を知って、私の中でいったん決着をつけたのです。この人を「毒親」に分類して、いったん心の押入れにしまっておこう、と。そうすれば、すくなくともしばらくは考えたり見ないことができますから。冷たいけれど遠巻きに距離を取りつつ、必要な場合は業務として「娘」を穏便に演じよう。

当時は、台風被害を避けるためには、あれで良かったんだと思います。

そうしている間にも、現実の母はすこしづつ大型台風から普通の台風に、そしてとうとう暴風雨くらいになってきて、そしてなんでか今朝突然思ったんですよね。

アレは、未熟なりに家族や子供のことを思って、必死にやっていたことだったんだなと。

そういうことって、私は結構あります。

別にずっと考えていたわけじゃないんだけど、「ああ、あれはこういうことだったのか」と何年も、下手すれば何十年してから理解する瞬間。

理解するためには、絶対的な量の時間が必要なことって、けっこうあります。 浅いレベルならばウィキペディアで済むかもしれないけれど、こんな時代でもかけた時間の分って、やっぱりあるような気がします。 より良いもの、より良い理解?のような。

そう考えると、長く生きるだけのものはやはりあるんだなと思います。歳をとるのは初めてなので、発見の連続なのです。けっこう面白いものです。

写真は、なんだかわからないと思いますが、秋の旅で撮ったカメラロールからFondazione Pradaの階段(笑)。古い工場を改築したモダンなギャラリーは古い作品と現代美術が入り混じって展示され、建築それ自体と呼応するようで素晴らしかったです。新しいものだけじゃなく、古いものだけでもなく、新しいものと古いものがあるっていうのが最も豊かで、さらに刺激的なのかもしれない。時間があったら旅の話もしたいんですけれどねえ…。