はざま世代が考えるこれからの生き方と仕事






ひさしぶりに古い女友達と会った。

それぞれ、立場も違う。男性よりも女性のほうが、幅が広いんじゃないだろうか。出会った頃はお互いあまり変わらなかったけれど、それぞれ自分の道を歩いていって、振り返ったら案外お互い遠いところにいるなあと思う。それでも、ひとつの時代を共有してがんばってきた同士だ。

いろんなことを話したのだけれど、なんだか私たちは、「はざま世代」だったねえ、という話になった。

それでいろいろと考えることがあったので、まとめてみようと思いました。迷ったけど公開してみます。

はざま世代の物語

バブルがはじけた数年後、大学を卒業した私は、さんざん悩み迷いつつも都内の一部上場企業に就職した。男女雇用機会均等法は施行されていたが、現実は法律よりもだいぶのろのろと進んでいた。多くの企業では、表向きは男女平等だけれど、最初の入り口から男性は総合職、女性は一般職と性別で分けられていた*。給料も違う。全然男女雇用均等じゃないじゃん。

そういうわけで多くの女友達が、結婚と同時に低賃金で単調なつまらない仕事を辞め、家庭に入った**。そして、周りの人たちもそれを幸せなこととして祝福した。女性は結婚したら会社を辞める時代でもあった。しかし、いつのまにか時代は変わり、女性が子供を持っても仕事を続けるようになった。

かつて「専業主婦になってほしい」と言っていた夫たちが、今になって「働いてほしい」と、言い出し始めているようなのだ。

変わった夫たち、変わらない妻たち

「専業主婦になってくれっていったのに、今頃ひどいよねえ」

という友人の言葉にうなづきながらも、かなり都合が良いとはいえ、夫が時代に合わせて変わっているのに、妻たちが変わっていないことに、すこし驚いていた。まあ、個人差はあると思いますけど。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず

鴨長明方丈記に書いたけれど、川を眺めているだけではわからないことがあるのだ。冷たい水に入って、流れのなかで泳ぎ続けなければわからないことがある。川底の石は丸くなるけれど、岸辺の石はそのままだ。新聞を読み、メディアを見、ネットをフォローしていても、やはりわからないものなのかもしれない。

彼女たちは、子供を持ち、母として人間として成長していると思うし、彼女たちの生き方を否定する権利も意志も特に持ち合わせていない。それでもなんだか、過去からタイムマシンに乗ってきた来た人と話しているような不思議な気分になった。

給料をもらうゾンビ

変わらないことはそれ自体で悪いことではないけれど、変化は時に成長の別名でもあるとも思う。

彼女たちの子供がそろそろ大学進学したり、就職を考える時期に来ていて、愚痴を聞く。いわく、良い大学に入って、良い大企業に就職してほしいのに、女の子には、良い結婚相手を見つけてほしいのに…。

デジャブ。

これだけ変化の激しい時代に。今世界最高の企業でさえ、子供の、これからの人生をずっと支えることはできないかもしれず、どの企業が残っていて、どの企業が潰れるのか、将来なにがどうなるか、なんて誰にもわからないのに、何十年前に自分の親に言われたことを、自分の子供に言っているって、なんだか怖い。

ただ「のに…」の続きに、若い世代が自分の人生を模索する姿を見て頼もしいなと思った。若いひとたちは、進路に関してだけは親の言うことを聞いてはいけない。自分で、自分の道を切り開いてほしい。若くない人だって同じだけど。

ご存知の方もいると思うけれど、わたしは一昨年会社を辞めました。名の通った企業で、重要なプロジェクトも担当していたし、いろんな提案もしてきた。わたしが辞めることを決めた時、みんなとてもびっくりしていた。わたしがずっといると思っていたそうだ。

でも、限界だったのです。わたしの頭は、「ここにいれば、まずまず安泰だよ。家族も喜ぶし、いた方がいいよ」と言って必死で仕事をしていたけれど、魂は「もうやりたくない!これはわたしの道じゃない!」と叫んでいた。ずっと長い間。

わたしは、その仕事をしたいと思って会社に入ったはずだったけれど、いつのまにかそうじゃなくなっていた。仕事も変わったし、状況も変わった。そしてわたしも、気がつかずに、いつか仕事にしがみつくゾンビみたいになっていたのだ。

就職が厳しいのは、経済が悪いからじゃない

高度経済成長期に、日本の産業は工業化し、田舎から若い人たちが都会に大量に出てきて就職した。集団就職なんて、今から考えるとありえないけれど、それだけたくさんの人を企業は必要としていたのだ。そして田舎に残されて農家を続けた人たちもまた、自分の子供たちにこう教え込んだ。

「農家(漁師・職人などなど)なんて、苦労ばっかりで儲からない。お前は大学に行って会社員になれ」

これはわたしがリアルに聞く、私たちの親世代の話です。実際、東京にいる人のうちどれくらいが東京生まれなのだろうと思う。でも今、企業への就職はどうやら昔より厳しくなっているらしい。もっと厳しくなるはずだ。それは若い人が羨むように、バブルの時代がよかったからではない。

わたしが入社した一部上場企業では、全員にPCがなかった。ひとつの部署に数台の入力端末があって、それは正確にはPCでさえなく、独自システムが走っているDOS機だった。各自の机にあるのは、電話と電卓と筆記用具だ。電卓で間違えないように計算できるのも、まだ一種の「スキル」だった。

あの時代に10人でやっていた仕事は、今何人でできるだろうか?はっきり言って雇用はすでに奪われているし、雇用を奪ったのはロボットでさえない。簡単に雇用がよくなるはずがない***

自分の道を探す

じゃあ、なにをすればいいのだろう?と困ってしまう人がいると思う。わたしも模索中だけれど、会社を辞めた時、とても薄ぼんやりと「こちらの方向に行きたい」ということはあった。

辞めて時間ができてすぐ、その方向にむかってちいさなアクションをたくさん起こした。思い描いて座っているだけではなくて、ちょっと動くと物事は変わる。ちいさな石つぶてをたくさん投げてみる。十分な力があれば、ずっと先まで転がっていくだろう。もとのエネルギーが弱ければ途中で止まる。

大切なことは、魂の求めることを、とにかく手を動かしてやってみることだと思う。とてもとても小さくていいのです。1mmづつでも動き続けていれば、次々に何か新しいことが見えてくる。たった今、じぶんの魂が行きたい方向、魂が喜ぶ方向に小石を投げ続けること。新しい方向が見えてきたら、また新しい小石を投げ続けること。

ブログを書くことも投げてみたいくつもの小石の一つかもしれないな、と今書いていて思った。この小石がどこまで転がり続けるのか、途中で止まるのか、目的さえもわたしにはわかりませんが、わたしは毎日小さな小石を投げている。目的があるとすれば、自分の魂がやりたがっているからだ。

でも魂がやりたがることをすること以上の、生きている目的なんてあるだろうか。それが自分の人生の道を歩くということじゃないだろうか、と思っている。

関連記事: 熊谷守一『へたも絵のうち』読書メモ
「自分を生かす自然な絵をかけばいい』と言っていた熊谷守一。その心は、上手な誰かの真似ではなく、その人の「自然」にまっすぐ向き合うことが大切ということだ。

どんなふうに仕事と付き合うか

とはいっても、私たちは肉体なので、肉体を養うためには多少のお金がいる。やりたいことをやりつつも、お金を得る方法=仕事****をする必要がある。というかわたしはそういう戦略を取っています。

だいたい、「これ1つ」しかしたくない、という人はそう多くないんじゃないだろうか。もしそういう人なら、きっと子供の頃から「それ」に膨大な時間を費やし、大人になった頃にはすでにすごい力を溜め込んでいるはずだ。

多くの人は、「これも好き」「あれも好き」の中からひとつとか、複数選んで、人生を生きるための収入のベースに据えて仕事をしていくのだと思う。

選んだ「これ」が当たりならいいけど、外れることもある。しかもよくある。恋愛する時だって、「あのひと」「このひと」の中から一人選んで恋愛をしても、その人と一生添い遂げるかどうかわからない。いろんな人と恋愛をして、ひとりを結婚相手として選んでもその人とも別れるかもしれない。

仕事も同じことだと思う。お見合い結婚でひとりしか異性を知らずにしあわせな人生を送る人もいるし、たくさんの恋愛をして、結婚も何度もして、最後に誰かを見つけるひともいる。またはひとりが一番しあわせだということを発見する人もいると思う。でも、恋多き人生も、ひとりで凛と終える人生も同じように素敵だと思う。

恋や結婚と仕事は似ている

スペックの高い男性、女性をという人が昔も今もいるけれど、周りをみていても失敗率はけっこう高いと思う。かといって特に成功率が高いケースも見当たらない。お見合いでも幸せになっている人もいれば、恋愛で離婚する人もいる。

ネットで出会って結婚したカップルの離婚率が低いと聞いたことがある。これはいろんなケースがあると思うけれど、会う前の段階で「こころの相性」が先行するからかもしれないなあとは思う。個人的には「波長」みたいなものが一番大事だと思っています。どちらにしても、人間は、自分の魂を長く騙し続けることはそうそうできないし、長く騙しおおせたとしてもそれは幸せな道ではないのだと思う。

仕事も同じだ。給料が高いからとか、親が喜ぶからという理由で仕事を始めても構わないけれど、失敗率はわりと高いかもしれない。とはいえ、仕事なんかどうせつまらないから、なるべくたくさんお金さえもらえればそれでいい、とわり切っていた人も知っている。それもひとつの見識だと思った。その人は、それが自分の魂の道なのかもしれない。

恋愛と一緒であんまり難しく考えずにいろんな仕事をして、遊んでみればいいのだと思う。わたしも遊びます。

関連記事:お金と豊かさについて考えた
私が考えるお金と豊さに関しては、こちらに書きました。誰かに雇われることが仕事でもないし、いろんな生き方があって良いと思います。

ということで、すでに決まっている楽しみな仕事もあるので、それを軸にまた広げていきつつ、好きなことをたくさんやろうと思います。どの世代の人も、男性も女性も、頑張りましょう。

流れから飛び出した水しぶきみたいな、もう一言。または注

1 わたしは結局この会社を激しい引き止めにあいつつ、わりと短期間で辞めました。辞めて良かったと思っています。でも地方というか首都圏でも東京以外では、まだまだ男女で総合職と一般職に分ける企業があるようですね。東京の大手企業ではこういう露骨な性差別はなくなったけれど、よりソフィストケイトされた形で残っています。外資系で働くとよくわかります。外資系は完全に平等だとも言いませんが、一般的に国内企業よりだいぶましだと思います。

2今、特に大企業で職場に長く残っている中高年の女性の多くが未婚であるのは、そういうわけでわりと自然なことなのです。もちろん、結婚とは関係なく違う仕事をするために、資格を取ったり、勉強をしたり、仕事を変わった方もたくさんいます。私はとっとと見切りをつけて出て行った後者のケースですが、どちらが良かったのかよくわかりません。これはもう個人の性向みたいなものだと思います。

3 言っちゃえば、戦争をしないのであれば、もうそんなに人間はいらない時代じゃないだろうか。国が人間を産ませたがることと、人間個人の幸せとはまったく関係がない。ほとんどの機械的な仕事はどんどんロボットがやってくれるようになるし。戦争でさえドローンで、少人数でできる。人間の幸せのためには少子化はむしろ望ましいという私の意見についてはこちら↓で去年書きました。
関連記事: 少子化は本当に悪なのか?じぶんのあたまでかんがえてみた

4 たぶん投資も、仕事に含んでも良いんだろうと思います。私にとっては投資は自分の魂の道ではないとだいぶ昔にわかったので、やりません。