竹内都 肌理と写真 展 ー 日本を代表する写真家が撮ったあの日の広島

<ひろしま>より。肌理(きめ)はgrainと訳された

写真界のノーベル賞とも呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を、日本人として3人め、アジア人女性として初めて受賞された日本を代表する写真家の一人、石内都さんのデビュー40周年を記念する企画展が横浜で開催されている。去年からたのしみにしていた企画展のひとつ。行ってきたので感想を書く。

「写真じゃないかもしれないな」

身体が震えた。そしてふいに涙ぐんでしまい、慌てた。

広島の原爆で亡くなった女性たちの衣類の写真を前にしていた。その作品が残酷な出来事を思い出させるからではなく、その衣類を着ていた女性たちの憧れや、喜びが、その衣類に包まれていた体温とともによみがえってきたようで圧倒された。それらの衣類は、破けたり焼けてぼろぼろだったり、シミや焦げ跡があったけれど、無垢でひたすらに美しかった。平面的に整えられて撮影された衣類たちは、まるでそのままふわふわと天国に昇っていくようだった。

竹内さんが、映像の中で自分の作品のことを

「写真じゃないかもしれないな」

と語ったとき、彼女の写真から受け取っていた印象が、しっくりとお腹に落ちて行った。彼女の作品は写真だけれど、写真という媒体を使った別のものなのだ。

時間が作り上げた美しいマチエール

わたしが彼女の作品から、一貫して受け取っていたのは、絵画でいうマチエール、布地でいう手触りとか織りのような、またはグラフィカルなパターンのような、「ものの表面の表情」に対するこだわりだ。《Apartment》や《Bayside Courts》の崩れかけ、塗装が剥がれる壁面に熱心に向けられる視線、《1906 to the skin》の、舞踏家の老いた肌のしわやしみの作り出すパターン、風景も三次元というよりは、やはり二次元的なパターンやマチエールのように捉えられているように見える。

石内さんはデザインと染織を学ばれたということだ。彼女は、むしろ布地を織る用に、画家がマチエールを作り上げるように世界を見つめ、暗室作業を通して表現しているように見える。

老いた肌とペンキの剥がれた壁の「美しさ」。老いた人とか老朽化した建物を捉えたというよりは、老いた肌や老朽化した壁の美しいマチエール、表情豊かな表面の美しさを捉えている。

その美は、自然の時間が作り上げた造形だ。時間がペンキを剥がし、シワを刻む。古い木の肌や石にだけあらわれてくる、時間だけが作りあげるうつくしさと同じもの。

すべての経験が美しい

彼女が捉えると、傷跡、手術跡やリストカットらしい傷痕からも、美しいマチエールが表れてくる。

《Innocence》で捉えられたのは肉体の経験としての傷跡であり、その経験をしてなお、彼らの体は美しいのだ。ケロイド状の肌も、大きく肉がえぐれたあとも、捻じ曲がった手指も、それぞれが独自の美しさを持っていることに改めて気がつく。

今血を流して痛みと苦しみを叫ぶ体ではなく、すでに苦しみを通り抜け、乗り越えた体なのだ。静かにその経験を思う、より強くなったひとの体だ。

傷跡は、体に刻み付けられた強さを示す誇らしい印だ。そして、それらの傷跡の美しさは、あったであろう痛みや苦しみがすでに浄化されていることを教えてくれる。

それは実際の人生のメタファーに他ならない。子供の頃のトラウマも、思春期に受けた傷も、すべての経験が、その痛みを乗り越えたとき、私たちの精神を強くしてくれた宝だったことに気がつくはずだ。

体が傷跡を抱きしめるように、誇らしい傷跡としてのトラウマを抱きしめることは可能だ。

幻想と現実と色の関係

彼女が衣類を撮るようになるのは、ほとんど運命的に見える。衣類にはそれ自体に美しいマテリアル、質感、パターンがある。そして着た人によって、傷跡のような印が残されている。フリーダ・カーロの朽ちかけたコルセットや水着は、体にとっての傷跡とおなじだ。

そして崩れそうな桃色の口紅や下着は、肉体の不在によって、肉体そのものよりも不思議にその人自身を伝える。

そして、衣類を撮ることによって、彼女の写真に色が表れたのは、とても面白い。

石内さんが色彩について語った箇所を、図録から引用したい。

モノクロームという非現実的な色彩は肉眼では決して見ることの出来ない無彩色の世界である。その広がりは想像の庭に咲いた花のように刺激的だ。

そしてカラー写真に移ったきっかけは、ご自分の母の遺品をとった《Mother’s》にあったと語っている。

今ある現実をそのまま受けとめようとした時に、色彩が目に入ってきたのである。《Mother’s》は、モノクロームからカラーへの境界線上の写真となった。《Mother’s》以降の写真は総てカラー作品となった今、色彩の記憶がよみがえる。

《絹の夢》より

つながる魂

それにしてもあの戦争の中でも、女たちは下着にレースを縫い付け、スカートにフリルを付け、花柄のワンピースを纏い、手袋をステッチで飾っていたのだ。長い時間を経てなお雪のように白く柔らかそうな手作りのニットは、それがどれだけ大切に着られていたかが伝わってくる。

なんというか、どんな状況に置かれても女は、美を願うのだ。そして美しくいようと必死に努力する。美は女にとって祈りのようなものかもしれない。彼女たちの衣装がこんなに美しい作品になったことに、だから私は感動したのかもしれない。

処女作の《横須賀ストーリー》だけが、どこか異質に見えた。うまく説明できないけれど、ひどく男くさい。でも人間はそういう時もあるんだろう。女が、自分自身に、女であることに忠実であることの難しさを、わたしは肌でよく知っている。女らしく大人しくするか、さもなければ男のように肩を怒らせて男と肩を並べるかふたつにひとつだと、私たちはどれだけ教え込まれただろう。あざとさ、という森山大道の言葉は失礼かもしれないけれど、的確な感じがした。それは必要なあざとさだったかもしれない。

でも、ああいう写真を見ると、彼女の写真が「共感」の写真なのだと逆によくわかるような気がする。深い共感と、美によって他の女たち、ひろしまの死者やフリーダの魂とつながっていくのだ。

石内さんは、実はとてもとても女らしい人なんじゃないか、ふとそんな気がした。

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石内さんのフリーダについて言及しています。

横浜美術館にて3/4まで。石内さんが自らプリントしたあの、大きな、つやつやした鮮やかにしてうつくしい印画紙をぜひ直接見てほしい。帰りに中華街で美味しい中華料理でも食べてください。

◼️ 石内都 肌理と写真

展覧会図録。すこしサイズは小さめだけれど、貴重な写真が盛りだくさん。写真集は高いので、展覧会に行けなくてもこれだけでも買う価値ありです。

◼️ひろしま

井上ひさし氏、柳田邦男氏が高く評価。風化しない広島
花柄のワンピース、水玉のブラウス、テーラーメイドの背広、壊れたメガネ。写真家・石内都が被爆遺品を撮った。美しいから辛い、可憐だからむごい。石内の写真に広島の心模様が残っている。(本の紹介より)

本当は石内さんが自らプリントした印画紙を直接見てほしいけれど、それが無理なら、印刷したものでいいから、ひとりでもたくさんの人に見てほしいと思う。

◼️写真関係 (単行本)

石内さんのエッセイ。作家のエッセイは作品を見た後にだいたい読むことが多くて、こちらも最近読んだ。モノクロからカラーへ変わったその一瞬のこと、お母様のこと、フリーダのこと、女性たちに寄せる思いなど、読み応えのある本でした。おすすめ!

写真界のノーベル賞とも呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞つながりで、今週のお題「表彰状」、ちょっと無理やりだけど、たくさんの人に行ってほしいので、確信犯的に絡んじゃいます。てへぺろ。